福島へ行ってきました
8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA! @ 福島四季の里、あづま球場
09:00-21:20

プロジェクトFUKUSHIMA!によるフェスに参加すべく、震災後初めて福島へ行ってきた。「文化の力でFUKUSHIMAをポジティブな意味に転換する」というキーワードから何が生まれるのかをこの目で確かめるために。

まず、「福島群読団2011」と「和合亮一『詩の礫』(朗読 : 和合亮一/音楽 : 大友良英、坂本龍一)」について。後追いでTwitterを見ると、大きく支持をする声が圧倒的大多数であったが、自分には正直なところ重すぎた。福島が直面する非現実的で非人道的に過酷な困難を表現し主張する詩や音楽の形が、あまりにも直接的で、詩的感動、音楽的感動、芸術的感動をすっかり打ちのめしてしまっているようだったからである。また、七尾旅人が福島を訪問する中で作ったという「圏内の歌」が七尾旅人+原田郁子スペシャルバンドで演奏されたのだが、子供について歌うその歌詞内容もやはり直接的であった。

文化とは、これ程にダイレクトで重いメッセージを担わなければならないのだろうか。否、そうとは限らず、様々なバリエーションやグラデーションがあってよいはず、ということは別の演目を観れば分かる。ここで自分が重たいと思ったのは、そのメッセージ内容のみならず、上のパフォーマンスを観たときの反応として否定や拒絶などネガティブな感想を持つことが一切許されないのではないか?という切迫を感じた点にある。例えば「詩的感動、音楽的感動、芸術的感動」について云々する余地はこのパフォーマンスにあるのだろうか?などと書くと、あなたは弱くて薄情で倫理を欠いた酷い人間だ、と非難されそうなのだが、こうした率直な感想はどう整理すればよいのだろうか。

他方、天鼓のヴォイス、向井秀徳が故郷を想って選んだという曲や、rei harakamiがDOMMUNE FUKUSHIMA!に出演した際に歌ったという美空ひばり「愛燦燦」の七尾+原田バンドによる演奏は素晴らしかった。言葉にならない声、土地への想い、おおらかかつ強靭な意志をもって困難に立ち向かう姿勢のようなものを、とても普遍的で、ゆえに力を持った言葉と声と音で歌っていた。



3.11後の音楽、あるいは「FUKUSHIMAをポジティブな意味に転換する」ための文化とは、特別なメッセージや情緒を持ったり気を張って取り組むものではなく、実は音楽を含む文化が昔から担ってきた営みを地道に続けることなのでは?と思った。つまり、ナタリーの山下達郎企画で菊地成孔が話した内容(->このページの後半部分)のほうに自分は同意している。こうした意味での文化発信をFUKUSHIMAが続けることで、各地域の音楽などがそれぞれ固有の個性やヴァイブスを持つように、FUKUSHIMAが独自の文化と文化圏を形成し、「FUKUSHIMA最高!」という言葉が空回りでなく地に足の着いたリアリティを獲得する日が来るのかも知れない。このフェスは来年以降も続けたいという話があるようだが、人の純粋な善意以外の手段も調達して持続可能な状態を出来るだけ早く作ることが、支援から発信へ移行し文化や圏としての強度を持つためには必要だろう。耳にタコな話だと思いますが。

最後に福島の、というか四季の里の印象を。敷地内で食べたアイスクリームと桃と透明なそばと、そして何より緑が豊富で驚くほど空気が美味しかった。今回は日帰りバスツアーだったけれども、次回は飯坂温泉などで美味しい夕食を食べて一泊してみたいところ。

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by m4k0t1 | 2011-08-17 03:32 | live
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